2006年8月20日(日)

東京都慰霊堂(震災記念堂・復興記念館)

東京都墨田区横網2-3 横網町公園内

東京都慰霊堂

関東大震災の死者・行方不明者は、約10万5千人といわれている。東京大空襲(昭和20年3月10日)の被害は8〜10万、阪神淡路大震災は死者 6,434名。それを考えると、関東大震災最大の惨事といわれる本所陸軍被服廠跡の被害者約4万人という数字は想像を絶する。東京ドームの半分にも満たない広場にスシ詰め状態になっていた避難民は、震災後に各所で発生した火災の炎と熱風が竜巻となって襲いかかった猛火の犠牲となったのだった。

横網公園となった跡地には、震災で亡くなられた方々を慰霊する震災記念堂と被害の様子を伝える復興記念館が建っている。震災記念堂にはその後、東京大空襲の被害者も納骨され、東京都慰霊堂となって現在に至っている。

復興記念館

慰霊堂内にはいると、震災の様子を描いた何枚もの大きな絵画と、空襲の惨状を伝える写真パネルに目を奪われる。人型をした炭かと思わせる焼死体が並ぶ石川光洋の焼け跡写真のリアルさもさることながら、画家徳永柳州が渾身の思いを筆に託した絵画の迫力もすさまじい。復興記念館では被害の様子や復興計画などの資料を見ることができる。アメリカを中心とする世界中からの義捐の記録が暗い気持ちを少しはらしてくれた。

改めて慰霊堂の前に立つと、その迫力に圧倒される。その大きすぎる向拝と堂々とした本堂、その背後に三重の塔がピンと立つ様子は、さながら陸に上がったマッコウクジラのようだ。設計者の伊藤忠太は建物の随所に妖しい生き物を配置することで知られ、ここでも幾つか見ることができるが、建物全体が怪獣になっている(本人は意図していないだろうけれど)のはここだけだろう。

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