野見宿禰神社
東京都墨田区亀沢2-8-10
江戸東京博物館から、まっすぐ東へ延びる道には「北斎通り」という名前が付いている。この界隈で浮世絵師葛飾北斎が生まれたことにちなんで命名されたもので、街路灯には彼の作品が飾られ、ちょっとしたギャラリー風になっている。車も少なく、ぶらぶら行くにはいい道だ。
博物館前から生誕の地の案内、緑町公園を過ぎていくと、右手(南側)に小さな神社が建っている。特に目立つ案内や大きな木があるわけでもなく、知らなければ通り過ぎてしまいそうなたたずまいだが、ここには相撲の町両国をまもる相撲の神様が祀られている。
日本書紀によれば、ここに祀られている野見宿禰(のみのすくね)は出雲の人で、その昔、垂仁天皇の命によって行われた御前試合(360年頃)の勝者だ。敗れた大和の當麻蹶速(たいまのけはや)は、野見宿禰の足技によって肋骨と腰の骨を砕かれて死んだと言うからすさまじい。この故事に由来して、相撲(角力)の神とされている。
ちなみに、垂仁天皇の后が亡くなったとき、お付きのものなどを一緒に生き埋めにする殉死の風習をやめ、埴輪を埋葬することを提案したのも野見宿禰だそうだ。彼はこの功により「土師臣」の姓を名乗ることになったという。菅原道真がこの土師氏の系譜に連なることから、野見宿禰は天神様の祖ということにもなるわけだ。
境内には歴代の横綱の名前を彫った碑が建ち、大鵬、柏戸、千代の富士などの懐かしい名前を見ることができる。