昌平坂(近代教育発祥の地)
東京都文京区湯島1-4-5
湯島聖堂を囲む塀は練塀(ねりべい)と言い、瓦を土塀の中に練り込んだ縞模様が美しい。私はここでしか見たことがないが、JR秋葉原駅の北東に神田練塀町という区画があるから、昔はこの縞模様が延々と続く景色が見られたのかもしれない。
聖橋から続く本郷通を頂点に、この塀に沿って湯島聖堂の3面を囲む相生坂・昌平坂・湯島坂は、みなひとしなみに昌平坂と呼ばれている。湯島聖堂は儒教の始祖を祀る孔子廟なので、孔子の出生地である昌平郷にちなんだ命名だそうだ。しかしこの地には、宗教としての儒教よりも学問としての儒学が色濃く影を落としている。
江戸幕府はここに昌平坂学問所(昌平黌(しょうへいこう))を官学として設置し、儒学の一派である朱子学の教育を行った。これが後に東京大学や東京教育大学、お茶の水女子大学となって日本の近代教育をリードしてきた。聖橋のたもとには、「近代教育発祥の地」の解説板が立っている。
多摩・武蔵野の古い名所を解説するとき必ず引き合いに出される「新編武蔵風土記稿」は、幕府の大学頭である林述斎を総裁に昌平坂学問所地理局の史官・間宮士信らが編纂したものだ。