旧嵯峨侯爵邸跡(杉並区立郷土博物館)
東京都杉並区大宮1-20-8
有名な「源義経=チンギスハン(成吉思汗)説」に先立って、「義経=清朝先祖説」がまことしやかに語られた時代があった。蝦夷地を経由して大陸に逃れた義経の子孫が清国の祖となり、“清”の字は“清”和源氏に由来しているというのだ。江戸時代中期から喧伝されたこの説は、清のラストエンペラー愛新覚羅溥儀(宣統帝)を擁して満州国を建国する際にも利用された。
溥儀の弟溥傑は政略結婚によって日本の嵯峨侯爵家から妻を迎えている。その名を浩(ひろ)という。
敗戦と満州国の解体により溥傑と浩の人生は暗転した。中国大陸での逃避行と投獄による離別、愛娘の心中事件などの困難を経て、昭和36年(1961)に再会するまでの激動の人生は、彼女に「流転の王妃」という冠をかぶせた。晩年は共に日中友好の架け橋として働き、昭和62年(1987:浩)と平成6年(1994:溥傑)に平安の内に人生を終えたという。
嵯峨侯爵の邸宅跡は、現在、杉並区の郷土博物館になっている。立派な長屋門は名主だった井口家から移築されたもので、侯爵家の建物は何も残っていない。九段会館での結婚式に向かう浩を見送った大きな庭石だけが、静かに眠るように残されていた。