2003年4月28日(月)

不動橋

東京都国分寺市南町3-1

藤棚

橋の語源は「端」と言われ、川によって区切られた共同体のはしっこに存在するものとされていた。「対岸の火事」のたとえにあるように、川の向こうは見ず知らずの土地であり、悪く言えば異界でさえあった。古来、橋の近くに庚申塔などが祀られたのは、厄災を含むその異界からの侵入者を防ぐ願いがあったようだ。

「あんたは橋の下で拾ってきた」と子供の頃に言われた人も多いと思うが、橋というのはそう言う怪しい世界の端境にあるものだったのだ。

石橋供養塔

水害の多い日本では、橋が流れをせき止めて洪水のもととならないように、壊れやすい、流れやすい造りとすることが主であったが、橋を落とすことによって無菌室のように共同体を守る意図もあったようだ。

野川源流に近い不動橋のたもとには、延享2年(1745)の銘のある庚申塔にならんで天保3年(1832)造立の石橋供養塔が建っている。かたわらの説明板には「村内に疫病や厄災が入り込むのを防ぐため」とある。

石橋によって対岸の国分寺へ参じる参詣道を確保する一方で、落ちない橋を渡って厄災が来ることを恐れて庚申塔を祀る。人々の表裏一体の信心がこれらの石塔からかいま見える。

橋ひとつから昔の人のいろいろな想いが伝わってくる。

国分寺市観光協会の説明板