祇園寺

東京都調布市佐須町2-18-1

自由の松

調布市佐須・柏野小の南にある祇園寺は、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)誕生の地と伝えられている。

言い伝えに寄れば、昔、この地に住んでいた右近の長者という豪族とその妻虎女の間には娘が一人いた。娘が年頃になった頃、福満童子という若者が現れて相思相愛の仲となったが、長者夫妻はどこの馬の骨ともわからない若者と一緒にさせるわけには行かないと、池の中の小島に娘を隔離してしまった。

庚申塔

困った福満が水神・深沙大王(じんじゃだいおう)に祈ったところ、大きな亀が現れて彼を背に乗せ娘の住む島へ渡したという。

二人は結婚を許され男の子を授かった。この子が成人して満功上人となり深大寺を開いた。小島のあとにはこの祇園寺が建てられたが、深大寺の賑わいに比べるとこちらはいたって静かだ。

その静かな祇園寺に、1,000人を越す人々が集まったことがある。それは明治41年(1908)9月12日のことで、住職・中西悟玄が自由民権運動のために活躍した先人の慰霊祭を行った際には、最後の百円札の肖像で有名な板垣退助以下多数の党員が集まったと言う。

本堂右手に、その時に板垣が植えたという「自由の松」がある。説明の立て札には、彼の有名な言葉「板垣死ストモ自由ハ死セズ」をもじって、「板垣死すとも自由の松はすくすくとのびている」と書かれていた。