2001年9月7日(金) | 2008年2月17日(日)

金井原古戦場跡碑

東京都小金井市前原町3-1(前原坂下交差点)

金井原古戦場跡の碑

小金井街道(新前橋)と霊園通り(丸山橋)の合流点に金井原古戦場跡の碑が建っている。

碑文には、「昭和三十四年十二月小金井市これを建てる」とあるが、分倍河原古戦場跡のような黒地に金の東京都教育委員会の説明板も、小金井市教育委員会のそれもなく、手書きの立て札があるだけなのがちょっと寂しい。

金井原古戦場跡の碑

新田義興は分倍河原で鎌倉幕府軍を破った新田義貞の次男で、正平7年(1352)にこの碑にある金井原、人見原の戦いで足利勢を破り一時鎌倉を占拠したが、すぐに反撃を受けて北関東に退き反撃の機会をうかがっていた。そのため、脅威に感じた足利勢によって鎌倉へおびき出され、正平13年(1358)多摩川下流の「矢口の渡」で謀略に遭い自害した。

大田区矢口にある新田神社はこの事件に由来して、義興の怨霊を鎮めるために建てられたという。

※ 一時、前原小学校隣の公園に移されていましたが、また元の場所に戻ってきました。台座が更新されて、手書の説明はなくなってしまいました。(2008.2.17追記)

碑 文 | 手書きの説明板