霞ノ関南木戸柵跡
東京都多摩市関戸5-35-5
多摩市関戸の地名の由来となったという関の跡が、多摩ニュータウンの縁を通る旧鎌倉街道沿いの熊野神社に残っている。参道に沿って木柱が数本並んだ「木戸柵」が復元されているが、それほど頑固なものではなかったように見える。関所と言うよりは検問かバリケードに近いかもしれない。
北関東から鎌倉に至る旧鎌倉街道の要衝としてこの地に関所が設けられたのは、源氏に替わって北条氏が実権を握っていた建暦三年(1213)の事だった。しかし、その120年後に怒濤のように押し寄せた新田軍の前にはひとたまりもなかったのではないかと想像される。
すぐ北の分倍河原〜関戸の合戦に勝利した新田義貞が勢いを駆って南進し、鎌倉幕府を滅ぼすのは関戸の合戦のわずか6日後のことだった。