観光案内の写真では、教会の裏手・山側から教会の全景の向こうに海が見えるように撮ったものをよく見ます。当時はそれほど街の写真に凝っていなかったので、門前からパチリと愛想のない写真を撮りました。門が閉まっているのは、朝が早かったからか、あるいは当時はまだ観光客を受け付けていなかったのかもしれません。
安政六年(1859)にロシア領事館附属聖堂として建てられた日本最古のロシア正教会といわれていますが、その後火災により焼失し、大正五年(1916)に建てられたのが現在の聖堂です。正教会の建築担当であった河村伊蔵の設計になるネギ坊主を尖塔の上に載せた姿が印象的です。
資料によってギリシャ正教と言ったり、ロシア正教と書かれたりしていますが、正しくは“正教会”(宗派)の“ロシア正教会”(組織)が日本に布教をして建てた教会と言うことのようです。歴史の本などでは宗派の名前として“ギリシャ正教”を用いる例がありますが、正教会は国毎に組織を持っており、組織名としての“ギリシャ正教会”と紛らわしいため、“東方正教会”という宗派名も用いられています。
日本では1970年にロシア教会から独立して日本ハリストス正教会となりました。