羽田・大鳥居
東京都大田区羽田空港1-1
羽田空港が昭和6年(1931)8月に日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」として開港した当時、空港の周囲には羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町があり穴守稲荷神社もこの地にあった。ところが敗戦により空港は米軍に接収され、進駐軍は軍用飛行場建設を理由にこの地に住む1200世帯・3000人を強制退去させたため町の名前もなくなってしまった。48時間以内に移転せよと言う強硬な命令だったという。
穴守稲荷は海老取川対岸の現在地に移ったが、なぜか大鳥居だけが残され、米軍からの返還後も空港ターミナル前の駐車場で空の平和を見守ってきた。移動や撤去の話は何度も出たが、祟りを恐れて誰も手を下そうとしなかったという噂がある。
その鳥居が空港の拡張のためついにその地を動かなければならなくなった時は大きな話題になった。
元住民を中心とする多くの人々の運動の結果保存が決まり、昭和4年(1929)の建立から70年後の平成11年2月(1999)、多くの人に見守られて800m離れた現在地に移されたという説明書きを読み、ここまでの経緯を思ってため息をつく。「平和」と書かれた額を見上げると、青い空に鳩ならぬカモメがたゆたうように浮いていた。