2004年10月16日(土)

代々木練兵場跡(都立代々木公園)

東京都渋谷区代々木神園町2-1

閲兵式の松

国木田独歩が「渋谷村の小さな茅屋に住んでいた」明治29年(1896)頃、代々木の地は彼の「武蔵野」に書かれているとおり、「詩趣」に満ちたところであったようだ。

ところが、独歩が亡くなった翌年の明治42年(1909)に陸軍代々木練兵場ができて、代々木の景色は一変する。昔のニュース映像には、軍事教練のための軍靴に踏み固められ、赤土がむき出しになった寒々とした広場が映っている。

十四烈士自刃之處

時代が移って昔の緑を取り戻した代々木公園は、戦争を知らない子供たち」(1971、作詞:北山修・作曲:杉田二郎)と歌われた世代の、さらに子どもたちの年代の若者達が、にぎやかに遊び、恋を語る場所になった。園内にひっそりと佇む閲兵式の松や「十四烈士自刃之處」碑が、今ではとても場違いに見えてしまう。

東京にはこのほかに日比谷練兵場(現日比谷公園)、駒場練兵場(現東大教養学部)、青山練兵場(現神宮外苑)があったが、現在は皆平和な場所に変わっている。そういう時代を喜びたい。

小田急線参宮橋駅前(東京都渋谷区代々木4-1付近)には、今も「陸軍省所轄地」の石柱が残っている。

大東塾十四烈士自刃之處 碑文 | 建碑の由来 | 「陸軍省所轄地」の石柱