広園寺は康応元年(1389)の開創と伝えられ、天正十八年(1590)秀吉の小田原攻めに際し、八王子城も攻略された。この時当寺は兵火にかかり諸堂も焼失したが、同十九年(1591)家康から一五石の朱印を受け再興を命ぜられたという。総門・山門・仏殿・鐘楼もその後の建築になるものである。総門は桁行一間・梁間一間、一重で切妻造。山門は三間一戸、二重門、入母屋造で室町時代の寺号額を掛けている。仏殿は桁行三間・梁間三間、一重、寄棟造。鐘楼は桁行一間、梁間一間、一重、宝形造で、応永四年(1397)および応仁二年(1468)の旧銘および慶安二年(1649)の改鋳銘をもつ銅鐘がある。
東京都文化財保護条例(昭和五十一年三月三十一日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えて下さい。