明治時代初め、玉川上水に舟を浮べ、物資を東京に運ぶことを、当時の砂川村の名主・砂川源五右衛門たちが政府に願い出ました。
舟運は、明治三年(1870)に開始されましたが、衛生上の理由から、明治五年には廃止されてしまいました。
この巴河岸は、玉川上水が舟運に利用されていた当時の船着場で、伊勢の人・巴屋某が船頭をしていたため、巴河岸とよばれるようになったと伝えられています。
なおこの玉川上水の舟運利用が、現在の中央線開通の一因だといわれています。
市指定史跡
巴河岸跡
所在
立川市砂川町三丁目十二番地先
指定
昭和三十九年八月二十五日
明治時代初め、玉川上水に舟を浮べ、物資を東京に運ぶことを、当時の砂川村の名主・砂川源五右衛門たちが政府に願い出ました。
舟運は、明治三年(1870)に開始されましたが、衛生上の理由から、明治五年には廃止されてしまいました。
この巴河岸は、玉川上水が舟運に利用されていた当時の船着場で、伊勢の人・巴屋某が船頭をしていたため、巴河岸とよばれるようになったと伝えられています。
なおこの玉川上水の舟運利用が、現在の中央線開通の一因だといわれています。
昭和六十三年三月二十一日
立川市教育委員会