柴田勝重之墓
東京都三鷹市新川4-4-22(春清寺)
わたしの中で、織田信長と武田信玄は同じ顔をしている。
伝えらている肖像画を見るとヒョロッとした狐顔の信長と達磨みたいな狸顔の信玄は似ても似つかないが、わたしの思い浮かべる二人の顔は、細い目で冷酷そうにこちらを睨め付ける俳優・高橋幸治の顔なのだ。ついでに言うと、水上勉の傑作「飢餓海峡」の主人公である犬飼多吉も同じ顔で記憶されている。
信長はNHK大河ドラマ「黄金の日日」(昭和53年(1978))、信玄は同じく「天と地と」(昭和44年(1969))、犬飼は昭和43年(1968)のNHKドラマの印象が強かったためだ。その後、違う役者の演じるドラマや映画を何度見ても、この印象はいまだに消えていない。
同じように柴田勝家は、NHK大河ドラマ「国盗り物語」(昭和48年(1973))の宍戸錠、雑賀孫市は林隆三だ。どちらもドラマで主役になるような人物ではなく、たとえば「誰それの勝家は良かった」などという話題はあり得ないのだが、なぜかこの二人のことは時々思い出す。
その柴田勝家の孫が新川団地の辺りに居を構えていたという話を聞いて、本能寺とか関ヶ原とか西の方の、しかもわれわれには縁のない昔のものと思っていた戦国時代のことが、急に身近に感じられるようになった。