2005年3月5日(土)

太子堂

東京都世田谷区太子堂3-30-8 (円泉寺)

太子堂

聖徳太子には、ずいぶんと長いことご無沙汰をしている。以前も頻繁に会うような仲ではなかったが、昭和59年(1984)に新渡戸稲造と福沢諭吉に後任を譲ってからは、それ以外の場でも見かけることが少なくなったような気がする。歴史の教科書などでも「厩戸皇子」という本名の方が使われる例もあるようだ。

紅梅

そんな具合でわたしにはお札でしか縁のない人だったが、建築関係では、法隆寺を建立したことなどから職人の神様として信仰されており、大工や職人のつくる太子講が各地で今も続いている。世田谷の円泉寺にも古くから聖徳太子像を祀ってきた太子堂があり、周囲の地名の由来となっている。

例大祭の聖徳太子節分会(毎年2月3日)はかなりの賑わいになるようだが、今日は人影もまばらで、太子堂の由来を知らなければ通り過ぎてしまいそうに静まりかえっていた。近くにある女子大の学生たちが思い思いにスケッチをしているなか、ちょっと窮屈な思いをしながら写真を撮ってきた。

世田谷区教育委員会の説明板