2002年4月13日(土)

田中橋/二十三夜待塔

東京都狛江市元和泉1-14-19

庚申塔

武蔵野・多摩地区で南北に走る古い道には鎌倉道、鎌倉街道と名の付いたものが多い。本当に東国武士が鎌倉へ通った道もあるだろうが、多くは単に南の方へ通じていると言うだけのものもあるようだ。

京王線仙川駅から小田急線狛江駅方面へ抜けるバス通りは、そうして伝えられる鎌倉道の一つだ。今でも甲州街道から多摩川を渡って、川崎あるいは町田方面へ行く裏道として使う人が多い。この道の南端・田中橋交差点は、かつてここに六郷用水(次太夫堀)が流れていた頃の橋の跡で、更に南へ延びる細い道の傍らに小さな社と橋の親柱、庚申塔、二十三夜待塔が残されている。

二十三夜待塔

月待ちと言えば、今は十五夜ばかりになってしまったが、かつてはいろいろな種類があったようだ。その中で二十三夜待というのは、祭神として勢至菩薩を祀り、夜中の零時頃上る二十三夜の月を待って夜遅くまで宴会をして遊びに興じたものらしい。また、庚申待ちは人の体に棲む三尸(サンシ)と言う虫が、庚申(こうしん・かのえさる)の暦日に天帝にその人の行いを告げ口に行くのを防ぐため、夜通し起きていて三尸が出て行かないようにしたもので、どちらも江戸時代に広く行われていた宗教行事だ。

こういう塔は旅の安全を祈って、道標を兼ねて村と村の境などに建てられることがあったという。似た例として鎌倉道を北に上がっていった先で、百万遍供養塔を見ることができる。

少し北の鎌倉道と旧品川道の交差点にある松原児童遊園には現代風に作り替えられた道標があり、「北 高井戸道・西 府中道・東 江戸、六郷道・南 登戸道」とあった。何でもない住宅街の一角だが、昔は交通の要所だったことを今に残している。

田中橋から西へ行くと泉龍寺、南へ鎌倉古道をたどれば亀塚古墳がある。