大山道・道しるべ
東京都渋谷区代々木3-42
こわもての二つの顔が並んだ石柱が、小田急線参宮橋駅の新宿寄りで線路に架かる天王橋の袂に建っている。「大山石尊大権現」と書かれているので、どうやらこれは天狗の顔らしい。
まだ玉川上水が地上を流れていた昔、現在の文化服装学院付近で甲州街道を折れて天神橋で上水を渡り、この石標に導かれて厚木大山街道(現国道246号)へ通じる道があった。信仰深い人々が大山阿夫利神社を目指して、歩いていった道だ。
江戸時代には大山(丹沢)のほかにも、富士、榛名、三峯(秩父)、御嶽(奥多摩)、秋葉などの山岳霊場へと団体で出かけていく「講」という組織があった。土地に縛られた農民達にとって、物見遊山をかねて遠くへ出かけるのは楽しみだったに違いない。各地に講の記録が残っている。現在も脈々と続く団体旅行の原形だ。
江の島の弁天様が裸なのは、そうやって詣でてきた人々が、神様の名を借りて俗なことで楽しむためだと聞いたことがある。
「やあ、色っぽい弁天様だったなぁ。」「ご開帳!なんちゃって。」「あら、いやだ。」「ガハハハハ」などと下卑た話題で盛り上がる姿が目に浮かぶようだ。