2002年1月4日(金)

世田谷・北烏山寺町

東京都世田谷区北烏山5-9-1(稱往院)

不許蕎麦入境内の碑

年越しにそばを食べた人、深大寺に初詣に行ってそばを食べた人、そんな人たちのことを思いながら北烏山の寺町を走ってみた。

ここは関東大震災やその後の区画整理で浅草や築地などにあったお寺が移転してきて作られた町で、ちょっと風情のある町並みを楽しむことができる。妙壽寺には震災の被害にあった梵鐘(写真右・享保4年(1719)作)が置かれていた。

関東大震災で破損した梵鐘

寺町のほぼ中央にある稱往院にあるのが「不許蕎麦入境内」の碑(写真左)だ。

江戸中期天明の頃、浅草にあった稱往院は寺内の「道光庵」の住職が作るそばが有名になり、多くの参詣者で賑わっていた。ただし、その多くは蕎麦目当ての不信心もので、道光庵庵主もお寺のおつとめがおろそかになってしまったため、怒った稱往院住職から蕎麦づくりを禁止され、天明6年(1786)にこの碑が建てられたという。

蕎麦屋の名前に「○○庵」というのが多いのは、この道光庵にあやかってのことらしい。そのくらい人気だったのだろう。

ところで、仕事の進捗がはかばかしくないことを「お寺の引っ越し」というとどこかで聞いたことがある。こころは、「はか(墓)行かない」。ところがここ寺町には多くの有名人のお墓も移転してきている。

浮世絵の喜多川歌麿(専光寺)、芭蕉の弟子の一人、宝井其角(稱往院)は知っていたが、為永春水(妙善寺)、中沢道二(妙壽寺)は初めて聞く名前だった。このほかにも漫画家の園山俊二や刑事コロンボの小池朝雄などの現代の有名人もこの地に眠っている。

中央高速の北側にある寺町通り区民集会所1Fの烏山寺町展示室で、寺町の由来や見所を紹介しているので立ち寄ってみよう。周囲に置かれた怪しいオブジェもお見逃しなく。夜には光るらしい(未確認)。

説明板 | 稱往院 | 妙壽寺梵鐘 | 喜多川歌麿墓 | 妙善寺 | 妙壽寺 | 寺町通り区民集会所の怪しいオブジェ