矢ヶ崎村
東京都調布市国領町7-52-9(二見屋工業)
京王線国領駅から南へ延びる世田谷通り(狛江通)と品川通りの交差点の南側は、かつては矢ヶ崎村と呼ばれ、代々二見屋を名乗る鋸鍛治が住んでいた。
今でも残る二見屋工業の前に、この地に鍛治の技術を伝えた開祖二見屋甚八の碑が建っている(※)。
二見屋工業の沿革に寄れば、矢ヶ崎甚八は伊勢の国二見に住む紀州徳川家ご用の鍛冶屋であったが、享保二年(1717)吉宗が八代将軍として江戸入府した際に同行して上京し、故郷を忘れないよう二見屋を名乗ったという。村内を通る筏道(品川道)を帰る筏乗りたちが、国領に良い鋸屋があるといって買い求め評判であったらしい。
二見屋で徒弟修行した職人は、多摩地区にとどまらず近県にも進出し各地で活躍したようだ。各地で開かれる市で販売され、地域の生業を支えていた。
路地の奥に小さな稲荷を見つけた。村内から集められた古い百万遍供養塔や庚申塔などが祀られ、丁寧な解説が添えられて昔のこのあたりの様子を伝えていた。
※ 2015年頃、敷地内に稲荷神社が建立されて開祖の碑はそちらに移されました