2003年11月16日(日)

八王子千人同心屋敷跡

東京都八王子市追分町11

八王子千人同心屋敷跡記念碑

八王子千人同心は甲信に対する江戸の国境警備のために、家康が甲斐武田氏の遺臣を甲州街道沿いに配した武士集団だ。士農工商の身分制度のもとでは珍しく、身分は武士だが任務のない時には農耕を行う半農半士の生活をしていた。

八王子千人同心組頭の家

しかし、天下太平の江戸時代には有事もなく、主な任務は日光勤番(火の番)であった。幕末に官軍が日光に攻め入った際に、千人頭石坂弥次右衛門義礼は戦火を避けて日光を明け渡したが、八王子に戻ってから佐幕派と対立し切腹をすることになったという。そのために後に世界遺産となる貴重な文化財が護られたことを思うと、石坂氏の先見の明を讃えたい。

多くの識者を輩出し、文化的な貢献も多い。身近なところでは、武蔵野・多摩地区の古い名所の説明板で引き合いに出されることの多い地誌「新編武蔵風土記稿」は幕府の大学頭である林述斎を総裁に昌平坂学問所地理局の史官・間宮士信らが編纂したものだが、千人同心からも植田孟縉、塩野適斎、原胤敦等が参加した。

小金井公園内の江戸東京たてもの園に、八王子千人同心組頭の家が保存されている(右写真 2005/4/24)。

碑文(裏面) | 石坂弥次右衛門顕彰碑 | 塩野適斎墓所(極楽寺)