高村智恵子詩碑
東京都品川区南品川6-7-30
智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。
(智恵子抄「あどけない話」より)
わたしが子供の頃は高度成長期で、空はスモッグに覆われ高いビルがどんどん建って息苦しい感じが世の中を覆っていたせいか、この歌をよく耳にした。その頃に比べたら、この詩が作られた昭和3年(1928)の東京の空はまだまだ広く澄んで青々としていたはずだが、「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空」がほんとうの空だと彼女はいうのだ。
智恵子が晩年を過ごしたゼームス坂病院の跡地に、夫高村光太郎が詠んだ「レモン哀歌」を彫った詩碑が建っている。
病院の向かいにあったゼームス邸の跡には9階建てのマンションが建ち、あたりの景色は当時とは大きく様変わりをした。
今なら、智恵子はなんと言うだろうか。