キカイ湯跡
東京都千代田区猿楽町2-7-1
銭湯と言えば、庶民の社交場的なイメージや宮造りの建物、浴室の壁に描かれた富士山の絵などから「古き良き日本」みたいなイメージがあるけれど、「キカイ湯」とはそんなイメージからはほど遠い奇怪な名前だ。
その名は、お湯を沸かすボイラーを機械釜と言ったことから、他店に先駆けてそれを採用したことをアピールするために命名されたのだという。古き良き…どころか当時の最先端だったわけだが、銭湯の象徴のように思われているあの富士山のペンキ絵を最初に浴室の壁に描いたのもキカイ湯だった。
今や内風呂の普及により銭湯の需要は激減し、キカイ湯も昭和46年(1971)に廃業した。今、その跡地に建つビルの入口には「ペンキ絵発祥の地」を示すプレートが掲げられている。
説明板 | 千代田区「まちの記憶」プレート || ペンキ絵(子宝湯)