滝廉太郎居住地跡(荒城の月曲碑)
東京都千代田区一番町6番地
春のうららではないけれど、隅田川を見た帰りに作曲家・滝廉太郎の旧居跡を訪ねてみた。皇居・千鳥ヶ淵の西、内堀通から二本目の袖摺坂の中ほどに「荒城の月」の曲碑が建っている。その奥が彼の住居跡だ。
東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学した15歳の時からドイツのライプツィヒ音楽院に留学するまでの7年間をここで過し、「荒城の月」「花」などの名曲を書いたという。留学先で肺結核を患い、帰国後間もない明治36年(1903)に23歳の若さで亡くなった。
レリーフに彫られた廉太郎の肖像は、まだ子どもみたいなあどけなさを残した顔立ちをしている。ジミヘン(Jimi Hendrix)もジャニス(Janis Joplin)も、早逝とは言っても20代後半だった。
自分は23歳のころ、何をしていただろうか。