2008年8月31日(日)

肉弾三勇士

東京都港区愛宕2-4-7(青松寺)

三勇士の像

私がその話を知ったのはマンガ「のらくろ」(田河水泡)の挿話のひとつとしてだった。のらくろシリーズは、第二次世界大戦前夜の軍隊が舞台でありながら、戦争礼賛のようなきな臭い雰囲気もなく楽しく読んでいたので、この話だけは何となく違和感があって今でも記憶に残っている。

現実の肉弾三勇士は、上海事変中の昭和7年(1932)2月22日、中国軍の鉄条網を破るために爆弾もろとも敵陣へ突入して爆死した三兵士を指す。事件の真相については諸説あるようだが、当時、愛国の美談として歌に歌われ映画にもなって日本中の話題となった。

愛宕山の青松寺には、かつて門前に建てられていた三勇士の像の一部とその碑が残っている。他の二人と別れ、ひとりぼっちになっても突撃の姿勢をとる兵士の姿が痛ましい。傍らには終戦を拒んでクーデターを企てた兵士の碑も建っている。ふと、終戦後もルバング島で抗戦を続け、昭和49年(1974)に投降した小野田少尉の顔が脳裏をかすめた。


※ 「爆弾三勇士」という呼名の方がよく知られているが、右写真の碑文にならってここでは「肉弾三勇士」と表記する

碑 文 | 国体護持孤忠留魂之碑