2009年1月12日(月)

次大夫堀

六郷用水 / 二ヶ領用水

六郷用水

多摩川の中流、東京都狛江市及びその対岸の神奈川県川崎市から二本の用水路が流れ出ています。東京側を六郷用水、神奈川側を二ヶ領用水といいますが、共に、江戸時代の用水奉行・小泉次大夫によって開削されたため次大夫堀とも呼ばれています。

工事は次大夫の進言を徳川家康が認める形で慶長 2年(1597)に始められ、同16年(1611)に完成しました。当時のこの地域は寒村で労働力が不足していたため、三ヶ月交替で両方の用水工事を同時進行したと言います。用水の開発により新田開発が進み、流域は大いに発展しました。

二ヶ領用水

世田谷・六郷領49ヶ村(現世田谷・大田区)を潤した六郷用水の上流部分は埋め立てられ、現在その姿を見ることはできませんが、世田谷区喜多見の次大夫堀公園にはその姿が再現され、水田や古民家と組合わさって往時の姿を偲ばせています。そこから下流、砧公園の南側から復活した水流は丸子川と呼ばれ、大田区にはいると六郷用水物語と名づけられた遊歩道が流れに沿って整備されています。

川崎側の二ヶ領用水は、稲毛・川崎の二ヶ領(現川崎市)60ヶ村に用水を供給したことからその名がつきました。現在も水流を見ることができ、春には沿岸の桜がきれいです。特に、水不足を補うため寛永6年(1629)に新設された宿河原用水沿いは桜の名所として有名です。

国登録有形文化財の二ヶ領用水久地円筒分水や、次大夫の陣屋跡を地名に遺す小杉陣屋町などの史跡めぐりもいいですね。

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