2009年1月19日(月)

富士塚

富士神社

葛飾北斎の冨嶽三十六景は言うに及ばず、江戸時代の浮世絵には富士山を描いたものがたくさんあります。富士見坂などの地名も多数残っていますが、江戸の庶民は毎日のように富士山を眺め、その姿に崇高なものを感じていたようです。現代においても、晴れた日に見る富士山のすがすがしさや夕焼け空に浮かぶ凛とした姿には、人を惹きつける力を感じますね。

富士山を遠くに眺め、神々しいものとして拝むことを「遥拝」と言います。神社仏閣に詣でるように富士山に登る「登拝」も行われましたが、昔は、今のように誰でもが簡単に登れるような時代ではありませんでした。そこで、江戸時代に富士講という集まりがつくられ、登山経験のある先達に率いられて講の代表者が富士山に登拝すると言う形が作られました。その富士講が身近なところに富士山のミニチュアを造り、本物の代わりに登拝できるようにしたのが富士塚です。

荒幡富士

富士塚には富士山の熔岩(黒ボク(石偏に卜))を使い、頂上の奥宮、五合目の小御嶽神社などを本物と同じように配しました。また登拝記念の碑なども建てられます。中でも富士講中興の祖と言われる食行身禄(じきぎょうみろく)が断食入定した烏帽子岩(七合五勺)や、開祖・長谷川角行が修行した人穴をイメージした胎内は重要なアイテムです。

宗教的な気持ちはなくても、登拝記念碑に彫られた登山回数の多さにビックリしたり、猿(浅間神社のお使い)や天狗(小御嶽神社の権現)のユーモラスな姿ににやりとしたり、富士塚に配されたあれやこれやを探して歩くのも一興ですね。

富士講と直接の関係は有りませんが、古墳の跡やちょっとした小山の上に浅間神社を祀ったものを富士塚と呼ぶ場合もあるようです。

駒込のお富士さん(左写真) | 荒幡富士(右写真)