吉野村の由来
東京都青梅市梅郷6-1542(大聖院)
吉野梅郷の親木の梅を見に寄った大聖院で興味深いものを見つけた。本堂脇にある地蔵堂を覗くと、内部は何かを拝んでいる人やお地蔵様の描かれた色鮮やかな額で埋め尽くされている。お堂の前に建っている享和3年(1803)と文化13年(1816)の寒念仏供養塔にも関係があるのだろうか。
何も説明はないけれど、それほど古いものでもなさそうだ。地域の人達の、信仰生活の一端が見えておもしろい。
堂の中央に建つ地蔵座像の台座にも発見があった。
薄暗い堂内で細かい碑文は読みにくいのだが、明治22年に市町村制が施行され下村、日影和田村、畑中村、柚木村が合併して吉野村になった、その名の由来らしきものが読み取れる。なんでもその以前に、桜の名所、奈良・吉野に倣って数千本の桜を植えたことがあるらしい。それで合併の際に吉野村にしたとか。
今なら「桜ヶ丘」とでも名づける所だろうが、由緒ある吉野にした所が良かった。桜は根付かなかったけれど、吉野の桜に肩を並べるほどの梅の郷としてその名を残すことができたのだから。