2009年7月5日(日)

目黒元富士・新富士跡

東京都目黒区上目黒1-8(元富士)/中目黒2-1-15(新富士)

元富士

江戸時代末の浮世絵師広重の「名所江戸百景」には、目黒にあった二つの富士塚を描いた「目黒元不二」「目黒新富士」という作品がある。どちらの富士も今は失われているが、元富士は目切坂、新富士は別所坂、それぞれ目黒川左岸の急峻な段丘の上にあって本家富士山の眺望が良く、富士講信者はもちろん、観光地としても賑わったらしい。

新富士

新富士は千島探検などで知られる近藤重蔵が自邸の庭に造った物で、近藤富士とも呼ばれていたが、後に歌舞伎にもなった刃傷事件の舞台になっている。

新富士築造当時、近藤重蔵は訳あって大阪に左遷されていた。2年間の不在の間に、隣家の百姓半之助が物見遊山客を当て込んで蕎麦屋を始めたところ大賑わいとなったという。図に乗った半之助は垣根を取り払って近藤富士を自分の家の庭にあるかのように設えてしまい、戻ってきた近藤家との間で一触即発の険悪な状況になった。文政九年(1826)遂に両家の関係は決裂、重蔵の長男富蔵が隣家に乗り込み半之助一家を皆殺し(通行人も数人巻き込まれたらしい)にするという悲惨な結末を迎えることとなった。

訪ねた新富士跡は、そんな血塗られた事件の気配もない静かな住宅地の一角だった。

(左写真奥が元富士跡、右写真看板の辺りが新富士跡。)

(説明版) 目黒元富士 | 目黒新富士 | 目黒新富士の石碑 | 元富士前の地蔵尊 || 現在の目黒富士