2007年1月8日(月) | 2009年7月20日(月)

古い看板

東京都港区赤坂6-10-12(赤坂氷川神社) / 大田区南馬込5-30-21(夢告観音)

赤坂氷川神社

名所旧跡に行くと、土地の教育委員会による説明板が建っているのを見かける。多くは昭和60年代から平成のものだけれど、赤坂の氷川神社では昭和18年の木製看板を見つけた。早稲田の戸塚稲荷でも昭和27年のものを見たことがあるが、よくも戦禍をくぐって残ったものだ。

夢告観音

以前、馬込で見た夢告観音の説明板は、それ自体はちゃんとしているのだが、基にした資料の状態が悪かったらしく、不明部分が…で処理された不確かなものになっていた。やがてこの説明板も朽ち、夢告観音の由来は永遠の謎となってしまうのだろうか。

デジタルに慣れた今の人は何とも思わないかも知れないけれど、初めてフロッピーディスクが登場した時、何百年か後にわれわれの文明を発掘した未来人は磁気化された情報を読むことが出来ず、この時代は文字を持たなかったインカ文明のように歴史の闇に葬られてしまうのではないかと不安になったことを思い出す。SP盤やLP盤、ベータマックスのビデオテープやレーザーディスクなど、もう再生することが出来なくなってしまったメディアは枚挙にいとまがない。それに比べれば、はるかに古い木製看板がまだ読めるとはなんという皮肉。

私がこうして書いている文章も、そこに記された私の人生も、たぶん未来には残らないだろう。人生は儚く虚しい。人は何のために生きているのだろうか、などと、一枚の古い看板をきっかけに思いは千々に乱れていく。

(映画「About Schmidt」(2002、監督Alexander Payne、主演Jack Nicholson)を見て、こんなことを思いました。(記:2009年8月29日))

※ 赤坂氷川神社の木製看板は、その後撤去されてしまいました

赤坂氷川神社の説明板 | 夢告観音の説明板 || 戸塚稲荷神社