旧岩淵水門
東京都北区志茂5-41-21先
荒川に行くといつもあのだだっ広さに呆れてしまう。
川幅も広いし、スーパー堤防も立派だから、その上に広がる空の広いことといったらビルのひしめく都内では想像もできない。「東京離れ」した景色だと思ってしまうのだが、これは東京東部の0m地帯を水害から守るための治水事業の産物だから、実はもっとも東京らしい風景でもあるのだ。
昔の荒川は現在の隅田川の流路を流れていた。その名の通り荒ぶる川としてたびたび氾濫して多大な被害を及ぼしていたという。そのため、明治43年8月の大水害を機に現在の荒川(荒川放水路)を掘削することが計画され、昭和5年(1930)に完成した。その指揮をとった青山士(あきら)は、パナマ運河建設に関わった唯一の日本人技師としても知られている。
旧岩淵水門(赤水門)は、旧荒川(隅田川)と荒川(放水路)の分岐点にあって、荒川の増水時には隅田川への流入を抑えて洪水を防ぐ役割を担っていた。現在は昭和57年(1982)に竣工した通称青水門にその機能を譲り、静かに余生を送っている。