2010年12月28日(火)

江戸氏墓所と江戸重長像

東京都世田谷区喜多見4-17-1(慶元寺)

江戸太郎重長公の像

「江戸」は江(川)の戸(入り口)と言うことで、今の隅田川の河口付近西側の土地を指していたと言われている。平安時代後期に今の皇居の辺りに住んでいた江戸氏の二代目重長は、その隅田川を利用した海運業で富を蓄え「板東八カ国の大福長者」と呼ばれていたという。

江戸家墓所

やがて時は移り、江戸の主は太田道灌、徳川家康と遷っていく。江戸を離れた江戸氏は、その庶流が喜多見氏と名を変えて、世田谷南西部の喜多見の地で江戸時代半ばまで続いた。その江戸氏・喜多見氏の氏寺である慶元寺には江戸太郎重長の像が建ち、一族が眠る墓所が大切に守られている。

周辺には、喜多見氏が承応3年(1654)に建立した鳥居の残る氷川神社をはじめ、世田谷古墳群や江戸時代後期に建てられた古民家が建つ次大夫堀公園などの見所が集まっている。岩戸川緑道や野川サイクリングロードと組み合わせると、自転車にも徒歩にも、ちょっとした散策にちょうど良いエリアだ。

江戸太郎重長公の像 由来記 | 慶元寺