小樽運河
北海道小樽市港町5
小樽観光といえば、水辺に古い倉庫が立ち並ぶ運河の景色が有名だが、手元にある大学時代の旅行で使ったガイドブック(※)には運河のうの字もなく、町案内の地図も小樽駅と貨物線(当時はまだ手宮線が運行していた)の間しか書かれていなかった。
当時、運河はすでに役目を終え、どぶ川のようになっていたという。ここを埋め立てて道路にする計画が持ち上がり、保護を訴える市民団体と行政の間で「小樽運河戦争」が勃発していた時期だった。
長い論争の結果、昭和58年(1983)に「歴史的建造物及び景観地区保全条例」が制定され、現在の観光都市小樽へとつながっていく。
今や残された運河の南端にある浅草橋には写真を撮る人たちがひしめき合い、倉庫街はおしゃれなカフェや土産物屋に姿を変えて観光客を集めている。
運河沿いの散策路を北へ歩いてみた。いくらも歩かないうちに人影が消え静かな道になる。石造りの倉庫も途切れて普通の景色になった先に、4階建ての大きな建物を見つけた。北海製罐小樽工場の跡だという。建物の外側に荷物を滑り下ろすためのらせん状のスロープ(スパイラルシュート)があって面白いと思ったのだが、それが壊れて2階で途切れている。華やかな観光地の陰の姿を見たようで、ちょっと寂しい気持ちになった。
※ ブルーガイドパック3 札幌・洞爺・函館 昭和56年版(実業之日本社)