御手洗天満宮
広島県呉市豊町御手洗93-2
御手洗の地名の由来となった井戸が御手洗天満宮の境内の奥にある。
「おてあらい」ではなく「みたらい」。菅原道真がこの井戸で手を洗ったという故事によれば前者でもいいような気もするが、それでは意味が違ってしまう。そもそもアレをお手洗いと言うようになったのは昭和になってかららしい。
京都の下賀茂神社の境内に流れている御手洗(みたらし)川のように、神社や寺院に参拝する前に身を清めるための場所(川や池、手水舎など)が、本来の御手洗(みたらい)なのだ。
この井戸で手を洗った人物については、神功皇后が三韓征伐の際に立寄ったとか、平清盛が上洛の際に嵐にあってここに足止めされたなどの伝承もある。いずれにしてもこの地は昔から、そういう話が生まれるような交通の要衝だったということなのだろう。
ところで天満宮の本殿はなぜか宙に浮いていて、その下を通り抜けられるようになっている。そのトンネル(?)の入口は「可能門」といい、願い事をしながら本殿の下をくぐると願いが叶うと書かれている。
願い事は「お金持ちになれますように」(become、なる)よりは、「苦しまずに亀老山の激坂を登れますように」(can、可能)みたいな方が良いのかなぁ、などと考えても見たが、たぶんこれは「叶う門」の転訛だから神様はなんでも聞いてくれるに違いない、などとごちゃごちゃ考えながら歩いていたら、願い事をする前に反対側に出てしまった。