2020年9月8日(火)

多摩川スピードウェイ跡

神奈川県川崎市上丸子天神町

堤防

子どもの頃多摩川に遊びに行くと、堤防の内側の河川敷で、カミナリ族と呼ばれる若者たちがオートバイを乗り回しているのに出会うことがあった。二ヶ領上河原堰の下流側、今は愛犬家が集まってドッグランをしている多摩川自然観察緑地のあたりだ。その名の通り、雷鳴のようなエンジン音は凄まじく、疾走するバイクを見ながらどさくさに紛れて「バカ―!」などと叫んで遊んでいた。

グラウンド

やがて彼らは公道に出て行き、後には起伏のあるダートコースが残された。そのコースで、今でいうBMXのレースのように自転車で走り、仮面ライダーになったつもりでジャンプに興じたことを思い出す。

彼らが知っていてマネをしたのかどうかはわからないが、東急東横線の鉄橋下の、今は川崎市の野球場やグラウンドがあるあたりには、かつて「多摩川スピードウェイ」というサーキット場があったそうだ。今も残る階段状の堤防は、その観客席の跡だ。

設置された記念プレートの写真を見ると、満員の観客席の前に立派なレースカーが並んでいる。一周約1,200mのオーバルコースは、東京競馬場(府中)の芝コース(2083.1m)より小さいけれど、本格的な自動車やオートバイのレースが繰り広げられていたようだ。昭和11年(1936)6月のオープニングレースには、ホンダの創業者・本田宗一郎も参加したという。

開設後ほどなくして戦争が始まり、多摩川スピードウェイの歴史は短命に終わった。

戦後はプロ野球の練習場などに利用され、今は市民グラウンドになっているけれど、コロナ禍でほとんど利用する人の姿は見られない。がらんとした広い空き地に、あの芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」のイメージがダブって見えた。

※ 2021年秋に始まった築堤工事により観客席跡は撤去されてしまいました

多摩川スピードウェイの会による記念プレート | 多摩川グランドだった頃