ヒョロ松君
岩手県陸前高田市気仙町砂盛176-6 高田松原津波復興祈念公園
その姿は遠くからでもすぐに見つけることができた。圧倒的な存在感を持って何もない、何もなくなってしまった広野にすっくと立っている。荘厳とさえ思えるその姿に、「ヒョロ松君」という名前が付いていると知って、少しほっとした気持ちになった。
例えば広島の原爆ドームのように、何かを伝えようとするときにそのシンボルとなるものがあると訴求力は大きくなる。この一本松もそんなシンボルのひとつだ。
でも、そうして大きな使命を与えられてしまったことは、彼にとって重荷になっているのではないだろうか。悲壮感を漂わせながらも気丈に頑張っている松に、やなせさんは「ヒョロ松君」という名前をつけることでほかの松と同じように笑ったり泣いたりする普通のキャラクターを与えて肩の荷を下ろそうとしてあげたのだと思う。松だけの話ではない。同じような人が、たぶんこのまわりにはたくさんいるのだ。
わたしの深読みあるいは読み違いかもしれないが、そんなやなせさんのやさしいまなざしが困難に立ち向かっているすべての人たちに注がれていることが、この絵にはあらわれているとわたしは思った。