2011年5月19日(木)

国歌君が代発祥の地/日本吹奏楽発祥の地

神奈川県横浜市中区妙香寺台八番地 妙香寺境内

国歌君が代発祥の地碑

日本がサッカーワールドカップに出場するようになった頃から、君が代を聴いたり歌ったりする機会が増えたように思う。戦争の記憶につながる天皇礼賛の歌としてとかく問題視(敵対視)されることが多く、一部にはもろ手を挙げて歌うことが憚られるような雰囲気もあるけれど、国際化とともに国歌に対する考え方も変わりつつあるのかもしれない。

日本吹奏楽発祥の地碑

明治2年(1869)30名ほどの薩摩藩士(薩摩藩洋楽伝習生)が、横浜の妙香寺に合宿して英国人フェントンに吹奏楽の指導を受け日本初の軍楽隊を結成した。この「サツマバンド」が、翌明治3年9月8日に越中島で行われた天覧調練にて演奏したのが「国歌君が代」の初演とされている。

妙香寺境内には、横濱貿易新報社が昭和10年に建てた「國歌君ヶ代發祥之地」と、平成元年に有志によって建てられた「日本吹奏楽発祥の地」を記念する碑が並んでいる。

残念ながら、フェントンが作曲した初代君が代は当時の感覚に合わなかったために受け入れられず、明治13年(1880)に宮内省雅楽局の林廣守が作曲したのが現在の君が代だ。その後、事実上の国歌として歌い継がれてきたけれど、正式に「国旗及び国歌に関する法律」によって国歌と定められたのは、日本が初出場を果たしたサッカーワールドカップ・フランス大会の翌年平成11年(1999)のことだった。

日本吹奏楽発祥の地碑文 | 妙香寺HPの解説