2006年10月22日(日)

江戸六地蔵 / 松平定信墓所

東京都江東区白河1-3-32(霊巌寺)

六地蔵

小学校の頃に見聞きしたことで、知らなくても差し障りはないのに忘れられないことがいくつかある。以前、「山吹の里」の記事で触れた「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに 無きぞ悲しき」という和歌とともに、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」という狂歌がなぜか今も耳について離れない。

松平定信墓所

江戸時代の第11代将軍・徳川家斉のもとで寛政の改革を行った老中・松平定信は、前任の田沼意次のもとで横行していた賄賂を廃し、厳しい倹約政策をとったために、その成果は評価されつつも人気はなかったということをこの歌は表している。「大人の世界って難しいんだなぁ」という思いが、心清らかな子供(!?)だったわたしには、よっぽど衝撃的だったようだ。

松平定信の墓所がある深川の霊巌寺は、江戸六地蔵のひとつがあることでも知られている。六地蔵は、旅の安全を願って江戸から各地に延びる街道の入口に建てられ、霊巌寺のものは水戸街道を護っているとされている。霊巌寺は現在の霊岸島(中央区新川)で創建され、その後この地に移ってきたのだが、水戸街道(国道6号)はそのどちらも通っていない。はて、どういういわれなのだろうか。

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