旧細川邸のシイ
東京都港区高輪1-16-25 港区高輪地区総合支所内
「旧細川邸の」と冠が付いているけれど、熊本藩主細川家の下屋敷跡は跡形もなく失われて見る影もない。白金の街を見下ろす高台の端に、この木だけがポツンと立っている。
その細川邸は、大石内蔵助以下17名の赤穂浪士が討ち入りの後に預けられ、切腹をしたところとして知られている。芥川龍之介の小説「或日の大石内蔵助」(1917)には、この屋敷での浪士たちのある日の出来事が書かれている。ふと厠に立った内蔵助が、庭に咲く梅の老木を眺めるシーンが印象的だ。
昔は見上げるほどの大木だったと思われるけれど、今は途中から切られて小さくなってしまった。それでも太い幹と根方に絡み合った板根が年代を感じさせる。
傍らの解説版に樹齢に関する記述はないけれど、300年前のあの日(元禄16年春(1703))、このシイの木も庭の片隅から彼等の姿を見守っていたのだろうか