大石良雄外十六人忠烈の跡
東京都港区高輪1-15
肥後熊本藩細川家下屋敷の跡地には学校や住宅が建ち、今は見る影もないけれど、ここだけは侵されざる聖域として残されている。「忠臣蔵」赤穂事件の四十七士の内、大石内蔵助ら十七人が切腹をしたと伝えられている庭の一部だ。
現代の考えでいえば、私憤に駆られて夜分に他人の家に押し込み、狼藉を働いた犯罪者ということになる。当時もそういう考えがなかったわけではないが、世論としては主君の仇を討った忠義の士という扱いが大勢を占めていたようだ。したがって、死罪ではあるが切腹という武士の体面を保った処遇がなされている。
しかし、その故事来歴を知るよすがとなるものは、固く閉じられた門のなかには何もない。中立であるべき細川家としては、たとえば祠のような形あるものを残すことは憚られたのだろう。かわりに彼らの血の染み込んだ土地を残すことで、武士として死んでいった彼らに礼を尽くし、屋敷を護る神として祀ったのではないかと想像される。
隣接する都営アパートの植え込みで、真っ赤なサザンカが花を咲かせていた。花をぽとんと落とすツバキではなく、花びらを散らして終わるサザンカ。彼らのことを思っての選択…とは考え過ぎかな。