東山道武蔵路跡
東京都国分寺市泉町2-7-4付近
リュックを背負いお揃いの赤白帽を被った小学生たちが、お行儀良く列を作って歩道の端を歩いていく。その歩道は、彼らが体操の隊形に開いてラジオ体操が出来るぐらいに広い。
この歩道部分は、律令時代の幹線道路・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)の跡を、発掘調査の後に保存のために埋め戻したものだ。東西の端に断続的に続く黄色い部分は、側溝の跡を示している。南へ一直線に伸びた先(左写真上方)は、武蔵国の国府に通じていた。
現代のどこかの国には、飛行機が離着陸できたり、戦車やそれに類する巨大な車輌が隊列を組んで走れるような道路があると聞くけれど、人馬の時代にこの道幅で道路網が敷かれていたとは驚きだ。この景色を見ると、国を造るとはどういう事なのか、ということがおぼろに見えるような気がする。