2013年1月11日(金)

首切地蔵(小塚原刑場跡)

東京都荒川区南千住2-34-5 延命寺

首切地蔵

首切り…というおどろおどろしい名前に反して、何ともかわいらしく穏やかな表情だ。お地蔵様は子供を守る仏様といわれるけれど、子供そのもののようなお顔に見える。

そう、映画「千と千尋の神隠し」に登場する湯婆婆の息子、坊に似ているような。

首切り地蔵

江戸時代の受刑者は、獄門(さらし首)や磔などで見世物にされ、その死体は刀の試し切りに使われたり腑分け(解剖した臓器の一部を薬などにしていた?)されたりと、現代では考えられないような扱いを受けていたという。しかも遺体は遺族には返されず刑場内に申し訳程度に土をかけて捨て置かれたので、夏には腐臭を発し、野犬などに食い散らかされて悲惨な状況であったという。

罪人とはいえあんまりだと、その供養のために寛文七年(1667)に回向院が建てられ、寛保元年(1741)には延命地蔵菩薩(通称・首切地蔵)が造立された。常磐線の敷設によって敷地が分断されたために、昭和57年(1982)に延命寺が独立・開山して現在に至っている。一説によれば20万人以上の人が処刑されてここに埋められたと言う。鉄道工事の際に、当然このあたりを掘り返したことだろうけれど、どんな状況だったのか想像するとちょっと怖い。

荒川区教育委員会の説明板(1) | (2) || 回向院