天王寺五重塔跡
東京都台東区谷中7-9-6
京都の鹿苑寺が放火で焼失したのは昭和25年(1950)7月2日。三島由紀夫がこの事件を題材にして「金閣寺」を書いたのが、昭和31年。その翌年の7月6日に幸田露伴の「五重塔」のモデルとなった谷中天王寺の五重塔が放火で焼け落ちた。お互いの事件にも作品にも関連性はないけれど、日付だけを並べていくと奇妙な因縁があるような気がして来るから不思議だ。
先日、若い人と話をしていたら、幸田露伴は知っていたがその作品はまったく知らないという。古典ではあるけれど、毎年夏休みになると出版各社が競って発表する○○文庫の百冊には縁のない作家なので無理もないとはいえ、それは実に惜しい。
以前、「声に出して読みたい日本語」という本が話題になったことがあったが、「五重塔」の講談調の文体は、まさに声に出して読むとおもしろさが二重三重にふくらんでくる。人に聞かれてやましいような描写もないから、堂々と大きな声で読んでみて欲しい。子供の頃はみんな大きな声を出して本を読んでいた。その頃に感じた物語を読むことの楽しさ、「読む」という行為の原初に帰って忘れかけていた何かをきっと見つけることだろう。
ところで、五重塔に火をつけたのは、不倫関係を清算するために心中を図った男女だという。自分たちの死の道連れに有名な文化財を焼くという心情がわたしにはわからない。一体、彼らの胸の内にはどんなドラマが思い描かれていたのだろうか。