柴又八幡神社
東京都葛飾区柴又3-30-24
拝殿の裏に回ると石の台座の上に大きな玉を載せた怪しげなモニュメントが鎮座していた。傍らの石碑には「島俣塚」とある。入口の説明板に古墳について書かれていたが、その復元だとしたらちょっとやり過ぎじゃないかな。
「嶋(島)俣」は柴又の古地名だそうだ。この嶋俣を含む下総國葛飾郡大嶋郷の奈良時代の戸籍(養老5年(721))には、「孔王部(あなほべ)」という名字の「刀良(とら)」と「佐久良売(さくらめ)」という名が記録されているという。さくら(め)がとらの妹だったかどうかは定かではないが、多少なりとも血縁はあっただろう。
ここの古墳からは帽子をかぶった寅さん似の埴輪も出土しており、しかもその発掘された日が渥美清(寅さん)の命日だったというおまけまでついている。
葛飾柴又は何から何まで寅さんの町なのだった。