富士見櫓跡
埼玉県川越市郭町2-15
「川越城」とは言うもののまったくお城らしさを感じない本丸御殿をあとにして富士見櫓跡にやってきた。「富士見」の名の通り周囲が一望できた物見櫓の跡だが、今はこんもりと木の茂った小山が残るばかり。頂上からの見晴らしも木々に遮られて芳しくない。
頂上付近に、明治三十年に建てられた「川越城趾碑」。その奥に御嶽神社があった。御師三代のものと思われる講碑が三基。「富士見」櫓跡ではあるけれど、その後は御嶽山として祀られているようだ。
社殿右横の社務所かと思った建物に「浅間社」の額がかけられていた。裏にまわると冨士見稲荷神社があり、富士塚を模してボク石を積んだ上に小さな社が祀ってあった。狐の巣穴を胎内洞窟に見立てたか、洞窟に巣くった狐を稲荷に祀ったか。ちょっと妖しい雰囲気が漂っている。奥には三峰神社の碑もあり、川越の山岳宗教のメッカ(?)になっているようだ。
裏にある川越高校から、応援団らしき男子学生の野太い声がひっきりなしに聞こえてくる。富士見櫓の建っていた時代に戦はなかったようだが、城下を監視していて攻め来る軍勢の鬨の声を聞いたらこんな感じだったのかな。そのほかにはほとんど音のしない静かな山頂でぼんやりしながら、そんなことを考えた。