2014年9月6日(土)

戦災により亡くなられた方々の碑

東京都台東区浅草7-1 隅田公園

言問橋の縁石

昭和20年3月10日の東京大空襲の被害は、一説には死者10万人以上、負傷者や家を失った人など罹災者の総数は100万人規模と言われている。ある一定期間の集計ではなく、一単位(原爆一発とか、空襲一晩とか)にまとめられる戦争被害としては、長崎の原爆被害を越え広島にも並ぶ、他に例をみない最大級の戦災だったのではないだろうか。

戦災により亡くなられた方々の碑

米軍による焼夷弾の絨毯爆撃は、現在の墨田区・江東区・江戸川区・台東区にあたる下町地区に集中し、木と紙でできた日本家屋を焼き尽くした。あまりの被害の大きさに戦死者の弔いが間に合わず、遺体は公園や寺院に仮埋葬されたという。

言問橋のたもとにある隅田公園も仮埋葬地の一つだった。その片隅に慰霊碑が建っている。

下町地区にはこういった慰霊碑や戦災供養の地蔵尊がたくさん建てられている。総務省のHPの「一般戦災死没者の追悼施設」のページには上に挙げた4区だけで30以上が掲載されている。数は多いけれどささやかなものばかりで、広島の原爆死没者慰霊碑(平和記念公園)や沖縄の平和の礎(いしじ)(平和祈念公園)のような誰もが知っていて必ず訪れるようなモニュメンタルな場所がない。両国国技館の近くにある東京都慰霊堂は、もともとは関東大震災の犠牲者のための慰霊施設に東京大空襲の犠牲者を合祀したもので、知名度もイマイチと言わざるを得ない。

「あヽ 東京大空襲 朋よやすらかに」

碑文は多くを語らないが、その行間には多くの悲しみと無念の思いがにじみ出ている。

(説明板) : 戦災により亡くなられた方々の碑 | 言問橋の縁石 || 東京都慰霊堂 || 総務省のHP