磨墨塚
東京都大田区南馬込3-18-21
鎌倉幕府成立前夜、寿永三年(1184)の合戦にて木曽義仲と源義経が宇治川を挟んで相対した時、義経軍の佐々木高綱と梶原景季が敵陣への一番乗りを競った「宇治川の先陣争い」の故事が伝わっている。その際に梶原景季が騎乗していた名馬「磨墨(するすみ)」の墓とされる塚が南馬込にある。
塚上の中央に建つ碑の裏には建碑出資者の名簿と日付(明治三十三年八月建之)が縦に彫られ、その上に大きく「谷張平」と横書きされている。先に見てきた馬込八幡神社の狛犬の台座にも彫られていた名前だ。谷さんという有力者の名前かと思ったら、一行一文字の縦書きで、「平張谷」と読む馬込の旧地名だった。
周囲にはいくつもの谷が切れ落ちていて、磨墨はその中の一つに落ちて落命したとされている。塚の前を通るバス通りは尾根道で、交差する道はみな急坂だ。下りはもちろん注意が必要だが、登りでもハンドルを握る手に力が入りすぎるとウィリーからバック転をしてしまいそうで怖い。
向かって左の碑には「子ノ方駒落の谷 午ノ方阿ふみの谷 正治二年五月十七日埋…云」などの文字が、読み違いがあるかもしれないが、微かに見える。磨墨とその鐙が落ちた谷の名と埋葬された日付だが、史実としての裏づけは弱いらしい。
右側の碑は享保五庚子年(1720)の庚申塔。正治二年(1200)は庚申の年だったが、それにちなんだかどうかは不明だ。
ちなみに、相方佐々木高綱の馬の名は「池月(いけづき)」といい、洗足池畔に池月伝説を伝える碑が建っている。