梶原景時の墓
東京都大田区南馬込1-49-1 萬福寺
「あまりにも有名」と言われて、あぁあれね、とピンと来たことは一度もない。有名すぎて知らない人はいない、という意味なのだろうが、本当にそうだろうかといつも疑問に思う。
馬込文士村を訪ねて行った先で「梶原景時の墓」なるものを見つけた。その説明板の中に、「歌舞伎十八番の石切梶原の鎌倉八幡宮社頭の名場面は余りにも有名である。」というくだりがあるが、浅学のわたしには歌舞伎のことはちんぷんかんぷん。「梶原景時」だって初めて聞く名前だ。
平家方の武将でありながら、鎌倉幕府成立前の石橋山の戦いにて敗走する源頼朝を庇い、後に鎌倉幕府の重臣となった人。その子景季(かげすえ)が名馬磨墨(するすみ)に跨り、佐々木高綱と競った「宇治川の先陣争い」も「あまりにも有名」らしいのだが…。
わたしも自分が知っていることを若い人が知らないと、「こんな有名なことを…?」と嘆くことがあるが、「有名」の範囲は時代とともに変わっていくんだよね。
ところで、その梶原景時の墓だが、実のところ史実の裏付けは弱いらしい。有名人にあやかりたい昔の人が、当地の有力者であった別の梶原氏と混同して伝えたというのが真相ではないかといわれている。
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