元和キリシタン遺跡
東京都港区三田3-6
「事件は会議室で起きているんじゃない」という刑事ドラマの台詞ではないけれど、何事も現場を見るということは大切なことだと思う。
豊臣秀吉や江戸幕府によるキリスト教の弾圧については学校で習っていたし、遠藤周作の「沈黙」などによっても知っていたけれど、その時点ではまだ、いまいち認識のレベルは低かったと言わざるを得ない。それがわたしの中でリアルになったのは、学生時代の最後に長崎を訪ねた時だった。
長崎駅にほど近い西坂公園に日本二十六聖人殉教地の碑が建っている。最年少は12才から齢60を越えた長老まで、碑に彫られた殉教者たちのそれぞれの人生が刻まれた表情を見た時に、「殉教」という事実が現実の出来事としてストンと心に収まった気がしたのを憶えている。
あれから30年以上の時が経ち、また、歴史をリアルに感じる体験をした。
三田・札の辻にあるキリシタン遺跡。慰霊の地に置かれた大石の前に、誰が置いたのか花束が供えられていた。大石には碑文もなにもない。現憲法では信仰の自由が保障されているのだから、なにも秘すことはないのだが、敢えてなにも記さないところに強い悲しみと怒りが込められているように感じる。花を供えた人は、どんな気持ちで献花をしたのだろうか。
歴史は(伝えない、という方法も含めて)伝え方によっていかようにも捉え方が変わってくる。時を越えてその現場に立ち会うことはできないけれど、せめて現地を訪ねてその痕跡に自分なりのリアルを感じることは、大切なことなんじゃないかな。
そんなことを少し考えた。