赤い鳥文学碑
広島県広島市中区大手町1-10 相生橋東詰
昔、TVの街頭インタビューに答えたことがある。自分も家族も放送を見ていないのだが、近所の人が「TVに出ていたね」と教えてくれた。
インタビューの質問はなんだったか忘れてしまったけれど、時刻表の話をしたような憶えがある。時刻表は大人でも読むのが難しいが、子どもが鉄道好きだからと言って子ども用の簡易版をつくって与えるのは良くない。子どもは背伸びをして大人の世界に触れることが楽しいのであって、それが子どもの成長を促すのではないか、とかなんとか。
子ども用の絵本や童話も、子どもだましではない、大人の観賞にも堪えるような作品がいい。
自分の子どもの頃を思い出してみても、数のお勉強をしましょう、みんなで仲良く遊びましょう、みたいなものは、子ども心にも物足りなくて、ちょっとバカにしていたような憶えがある。子どもを子ども扱いせず、一流の大人が真摯に取り組んだ作品は、いつまでも心に残るものだ。
大正から昭和初期にかけて発行された児童雑誌・赤い鳥は、芥川龍之介(「蜘蛛の糸」「杜子春」)、新美南吉(「ごん狐」)や、北原白秋(「からたちの花」)など当時一流の執筆陣を迎えて、良質の児童文学、童謡を発表してきた。その多くは今も子どもたちに親しまれている。
赤い鳥を創刊・主宰した鈴木三重吉が広島市出身ということで、その文学碑が原爆ドーム前に建っている。