2018年1月30日(火)

田園調布の家

東京都大田区田園調布3-4-7

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調布の生まれだと言うと、知らない人にはお金持ちに思われることがあるが、もちろんそんなはずはない。「田園調布」と「調布」は天と地ほど(?)も違うのだ。

緑

今は高級住宅地として知られる田園調布も、大正時代に分譲された頃は東京で働くサラリーマン向けの住宅地として開発が始まった。都心まで通勤一時間以内を謳って鉄道が敷かれ、それが東急電鉄の鉄道網と沿線の都市開発へと発展していく。

NHKの街歩き番組「ブラタモリ」(1月20日放送)で、その分譲当時の面影を残す家がまだ残っていると紹介されていたので、さっそく見に行ってきた。

現在は北欧ビンテージ雑貨のお店になっているその家は、昭和9年(1934)に建てられたもので、代々のオーナーによってかなり改造はされているものの、全体の雰囲気としては当時のままを保っているそうだ。豪邸が居並ぶ街の中で、そこだけ時間が止まって取り残されてしまったような、ほのぼのとした空気が流れていた。

番組の中で、「田園」調布はイギリスのGarden City構想を参考にしたので、「庭園」調布が正しいのでは?という説が紹介されていた。駅を中心に同心円状に弧を描く街路は、視界の中に常に生け垣や庭の緑が入るように設計され、庭園(Garden)の中を散策しているような安らぎを感じさせるというのだ。

子どもの頃、田畑の多い調布の方がよっぽど「田園」だと思っていたけれど、なるほど、庭園調布ならわかるような気もする。

1925年(大正14)築の田園調布の家(大川邸)が移築されている江戸東京たてもの園